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四方のあか

初雛賦
門びらきの御祝儀すみ、真綿のつむのもてあそびもの所せく、桃のやう〳〵咲そむる頃、この子のこヽに嫁べき、雛あそびの調度求んと、十軒店の二階に、雲の上の雲お掴み、麹町の室咲に、つくり花の花お飾らんと、鶏合の牝鶏ときおすヽむれば、潮干のひかぬ父親の心こそおかしけれ、内裏雛の袖はかけ鯛の尾おさかだて、次郎左衛門の丸顔は、玉子に目鼻つけたらんがごとし、紙ひいなの雨ふりに腰は立ずと、てる〳〵法師の形にて事たりなんお、今は古今の雛の装束の詮議より、大宮人お裸にして、折からの桃華蘂葉に、一条禅閤のお肝お潰させ、ふらそこの壺井も、義知ぎちと爪おくはふべし、小人形の寸は箱のふたにあらはれ、男とも見え、女とも見はやすべきかたはあらぬが、長たぶの首うちかたぶけ、足のうらより竹釘お打付けられたるもいた〳〵し、からくりこそ猶おかしけれ、〈◯中略〉近頃囃子方といへるものいで来て、切禿のぜんじおもて、芝居の下座にやうつしけん、笛小つヾみおほつヾみ、太鼔地謡まで一お欠ては事足ぬ心地ぞする、裸人形は腹掛に美おつくし、六尺の手まはりは、鉢巻に気おつけたり、まして調度は乗物外居のみに限らず、御厨子黒棚は東山殿の床飾お欺き、箪笥長持は座敷杯の二間かと疑ふ、一双の屏風は柳桜おこきまぜ、式正の本膳にあさつき鱠蛤もおかし、毛氈しき幕うち廻し、落雁の鯛、杉折の沙魚、草餅の菱、豆いりの霰、山川白酒は豊島屋矢野お傾け、饅頭干果子は鈴木金沢お尽す、かヽれば紫清少が筆すさみはしらず、加田粟島の故実は、猶さら疎々しけれど、世におのこヾもちて、のぼりいかめしげにたて並ても、柏餅粽の皮お剥もうるさく、干鰒かさごの歯にはさまらんより、先何事もさし置て食物の多きこそ、こよなう賑はしき節句なれ、
 樟脳の匂ひもまだき箱入のむすめのごとしけふの初雛