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古今要覧稿
時令
くすだま〈薬玉〉 くす玉は、そのはじめ漢土よりおこりて、皇朝にも世事となれり、さてその造なせるさまは、ふるくは五綵の糸にて、菖蒲艾などお貫たるもの也、それお後には、なでしこ、あぢさい、その外色々の時の花どもしてかざれるよし、新古今集の歌などにて、しかおぼえたり、これお後々は糸花にてつくれり、すなはち今の世にも見所あるさまに造なしたるものあり、此国にては嘉祥二年五月に、はじめて群臣に薬玉お給へるよしみえたり、もろこしにてもはやくよりのことヽ見えて、風俗通などにもしるせり、さて漢土にて続命縷といひ、又長命縷、五色縷、あるひは縷索、辟兵、縡などもいひ、さて五月五日に、是おひぢにかくる時は、あしきやまひおうけず、かつ寿命おのぶといへり、されば続命縷の名もあるなるべし、さて内裏には、此薬玉お糸所より奉りて御帳にかけられ、群臣にも給はる事あり、司々にて是おまうくるよしは、延喜式にみえ、さて帯るさまなどは、小野宮年中行事等に出たるがごとし、さるは糸所奉れる薬玉お、去年の九月九日に御帳にかけられたる茱萸の囊、かつ御前におかれたる菊瓶などヽともにとり払ひて、薬玉にかけかへて、九月まで是おおく事とぞ、さてかくる所は、夜の御殿の御帳の東の柱にかくるよしなり、そも〳〵皇朝にも此日薬玉お用ふる事は、邪鬼おはらひ、疫おのぞく術にて、民家にも五月五日、婦女子の玩ものに、色々の造り花お糸につけ、紙にて張などしてもてあそぶは、もと禁中にせさせ給ふお習ひて、下々にもなすことヽみえたり、