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後水尾院当時年中行事
上五月
五日、〈◯中略〉清凉殿の東庭、おにのまのとほりに、高らんに添て、さうぶの御殿とかいふものおたつ、あやめのこしなるべし、あやめのこしは、六府のさたとみえたれど、いかなることにか、此ごろは東坊城家より材木下行等の物お出して、衛士おしてつくらしめて是お奉なり、又ないし所の西にもたつ、是は梅が畑と雲所より材木お出して、是も衛士作りて調進する也、