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古今要覧稿
時令
軒のあやめ〈葺菖蒲〉 五月四日の夜、軒にあやめふく事は、中むかしよりはじまれり、国史式等にしるさヾれば、さだまりたる恒例にはあらざるなり、しかはあれど、五月四日夜、主殿寮内裏殿舎葺菖蒲と〈西宮記〉みえたれば、此頃よりはじまりて、定例となりしにや、又よもぎおさうぶにそへてふくことは、いはゆるさうぶよもぎなどのかほりあひたるもいみじうおかし、ここのへの内おはじめて、いひしらぬ民のすみかまで、いかでわがもとにしげくふかむとふきわたしたると、〈枕草子〉みえたるによれば、此ころほひには、菖蒲よもぎともに軒にふきし事しられたり、こヽのへの内おはじめて、いひしらぬ民のすみかまでといふおもてみれば、世にあまねく定例となりしことおしはからる、既にかげろふ日記にも、我いえにとまれる人のもとより、おはしまさずとも、しやうぶふかではゆヽしからむおと、みえたると、西宮記との二記おおもへば、九百年前、千年ちかきむかしよりのならはしにして、たかきいやしきなべて家の軒にふきしなり、さて婿とりたる家、三箇年ふかずといふ説あれど、これもはヾからざるよし山槐記に見え、新造の家、三箇年不葺よしの説あれど、これも不憚よし同書にみえたり、又新宅不葺よし、後成恩寺殿の説〈諒闇記〉なり、されども新造家必葺之、代々例也と、〈年中行事秘抄〉みえたれば、ふく説にしたがふべきなり、さうぶふく事、諒闇中不憚と〈後成恩寺殿諒闇記〉みえ、喪家には、あるひはふき、或はふかざる説あれども、多くは憚らざる説なり、文暦元年五月四日、故女院旧院不被葺菖蒲、世俗之説、終焉御所不葺と〈百練抄〉みえ、但建久六条殿葺之、嘉承堀河院葺之、治承高倉旧院不葺と〈同上〉みえ、不吉家、或葺、或不葺と〈年中行事秘抄〉みえたるによれば、二書ともにたしかならざれども、多くは葺説なれば、ふく方に随ふべきなり、殊に山槐記、後成恩寺殿諒闇記等の説によれば、新造の家、諒闇、喪家にいたるまで不憚よしなれば、これにしたがふ、且そのうへ凡葺菖蒲事者、為除火災也、非家飾、仍不憚之也と〈後成恩寺殿諒闇記、恒例行事〉〈略、〉いへり、げにさあるべき事なり、