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古今要覧稿
時令
あやめのまくら〈菖蒲枕〉 五月五日、菖蒲おもて枕にしく事は、中むかしよりはじまれる事也、前中納言雅頼卿歌に、都人引なつくしそあやめ草かりねの床の枕ばかりは、又俊成卿の、立花にあやめの枕にほふ夜は、とよまれたるによれば、七百年ばかりのいにしへよりして用いられしもの也、嘉禎四年五月四日、自将軍家、被調進昌蒲御枕并御扇等於公家と〈東鑑〉みえたるによれば、嘉禎の比は、あづまにても用いられし事しられたり、又明応の比には、世にあまねく用いられしものとみえて、五月五日、今宵は菖蒲の枕しく夜也とて、しき侍りてと〈関東海道記〉みえたるにて明らか也、凡五月五日、あやめ草おもて屋の軒にふき、或はかづらとなし、或は続命縷につくり、或は枕にしく事、皆時の邪気おさけはらはん為に用いらるヽなり、菖蒲は辟瘟気と〈荊楚歳時記〉みえたり、又同日、あやめの筵お用らるヽ事、三百年前よりあり、五月四日の夜、昌蒲の御筵御枕参りて、しかせられて御しづまり候と〈殿中御対面記〉みえたり、是も邪おさけ、あしき虫などおよくるまじなひに用ひられしにや、さて又禁中へは、五月四日新蔵人あやめの御枕献ずるよし、禁中年中行事、年中下行帳にみえたり、枕のつくりかたは、菖蒲おたけ五六寸ばかりにきりて、五寸廻りばかりに、跡さきおかみひねりにて結びて、両方の小口によもぎおさし挟むよし、後水尾院当時年中行事にしるさせ給へり、