[p.1174]
守貞漫稿
二十七
或曰、端午の印地打止て印地切〈いんじゆぎりと訓ず〉となり、正保慶安の頃は、此日専ら童の挑争ふ印地切も停て菖蒲打(○○○)となる、〈◯註略〉後廃て唯吉原の禿のみ行之、衆禿二隊となり、号て江戸町方京町方と雲、待合の辻に行之こと、上に雲るが如し、是寛延の書に載たり、何の時にか是も廃す、