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塩尻
四十二
今世五月端午の節、児輩菖蒲兜とて玩ぶ、是お山城国藤の森の祭りより起りしやうにいふは非也、端午の鎧の事、史にも見えて久し、亦中頃関東の武士、五月六日野馬乗鞍とて、甲冑お帯し、馬上にて兵術の手合せおなす、刃引の太刀長刀お以てする由、伊豆日記〈嘉応元年五月〉等にみゆ、〈◯中略〉後河原石打其遺風にして、児輩はたお立、甲お著、木太刀おもつて戯れし、今石打の事なくなれり、大家の小児のみあらず、市井村落迄のぼりお立、かぶとおつらぬるも、唯壮観お事として、何事といふおしらず、東都の如きは、時尚人形おのみ多く置て、いよ〳〵いにしへに遠ざかり、本お忘るヽにや、