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骨董集
上編上
冑人形 増鏡うちのヽ雪の条に、五月五日、所々より御かぶとの花、くす玉など、色色におほくまいれり雲々とあり、かくいへるは、八十八代後深草院位につかせ給ひて、いとけなくおはしましヽ建長三年辛亥五月五日の事なり、南畝叢書に載る某の随筆に、右の増鏡の文お引て雲、冑花は紙おもて冑おつくり、其上にさま〴〵の花おかたどり、あるひは紙にて人形おつくりすえなどして、わらはべのもてあそびにするとなり、今の端午の菖蒲冑は、此遺制なるべしといへり、おのれ此説により、ふとこヽろづきて、日本歳時記〈貞享五年印本〉のうちの絵お見るに、冑の上に人形おつくりすえたる図あり、これおもておもふに、冑人形といふ名目は、原冑の上に人形おつくりすえたるゆえにしかいひしお、後に冑と人形と別の物になりて、人形ばかりおも冑人形といひ、略して冑とばかりもいひたるなるべし、然則右の随筆に、冑の花は、冑のうへに紙にて、人形おつくりすえなどするといへる説によく合、冑人形は、冑の花の遺制なること疑なからん、