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嬉遊笑覧
六下児戯
削りかけの冑は、俳諧懐子〈明暦二年〉甲おみれば削りかけなり、殊更にもる鹿茸や馳走ぶり、〈重頼〉内田順也が俳諧五節句、〈貞享戊辰〉大かた桧物師細工なり、人形に武者あり、舟あり、平家物語の体有り、麁相なる張貫もあり、しころに木おつぎ、かんなにて削り、短冊の長きやうなるお色々に染、いくつともなくぶらさげるによりて、削りかけの甲といひ売にや、又けづりかけにあらぬも有り、此頃は宮殿寺社児法師女さま〴〵の古事どもあり、江戸にては張良弁慶など、名ある武者お隻一騎作て、張良々々弁慶々々と売り、冑とは売ありかぬ也、〈◯中略〉 鷹筑波集〈三〉安井正親、けづりかけの冑のだしは鰹節、これ彼厚紙にて作りて、冑の上に付たる物おだしといへり、江戸にて今神祭のだしといへるものも、うへに付たる人物草木何くれの作り物おいふ名なり、此句は右の作り物と、鰹節のだしとおかねていへり、又世話尽〈三〉明暦二年刻、夏の冑おかさはむる窓、桧物師の軒もあやめの節句にて、是も削りかけとはなけれ共、桧物師といへるにてしるべし、 正保慶安の町ぶれにも、前々より小旗之義、絹布一円仕間敷候と仰付らるヽ、万治二年四月十六日、毎年如申触候、五月節句の甲結構に仕間敷、勿論作りもの作り花糸類、金物金銀の箔漆につけ、商買堅仕まじく候、いかにも麁相なる人形、一つ二つより外付申まじく候、寛文七年十一月朔日、町触の内、五月のもてあそびの甲、古へのごとくかぶり候やうに拵へ、人形ほり物可為無用、但甲に立物は不苦候、すべて結構に不可仕事、此頃かざり物おむねとして、かぶられぬ冑お作れるとみゆ、今の上り冑といふ物、麻お垂たる木の削りかけに、かへたるなるおむねとして、かぶられぬ冑お作れるとみゆ、今の上り冑といふ物、麻お垂たる木の削りかけに、かへたるなるべし、もとうへに付し人形お、後には別に作ることヽなりても、猶冑人形とはいふなり、上り甲とは、やごとなきあたりへ奉るの義なり、ひなにも此名ありしとみゆ、類柑子、広蓋お車大路やあがりひな、〈適山〉ひなは小きものなればなり、 世説故事苑、〈宝永七年板〉冑及人形お造り門戸にかけ、紙に画きて門に出すといひ、五元集に、五月雨や傘につる小人形とは、雨日には傘お其うへにさしかけたるお、傘につると作れるにや、又菰の葉にて馬お作り、戸外に立と歳時記にいへり、