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本朝文鑑
二賦
凉賦       渡吾仲
洛陽の東に川ありて、上おかも川といひ、下おしら川といへる、君がちとせの石川や、蝉の小川ともいふなるべし、されば年ごとの六月七日より、十八日の夜もすがら、五条の橋のこなたより、三条の橋おかぎりとして、その川水に床おならべ、絵すだれの絵には、愛宕の雪お思ひ、花むしろの花には、音羽の嵐おさそふ、まして宵月おむかへ、有明おおしめる、こヽに四時の風景おあつめて、そよ時鳥いづち行らん、況やみやこ人の錦繍おかざり、蝶鳥の香も風におふらん、夜は一きは物のはへあるにこそ、さて東西の岸にのぞみて、その家々の挑灯お出し、おのがさま〴〵の名おしるせる、大和山城は名にこそあふれ、鶴屋亀屋のめでたさも、やお屋万の軒につヾきて、扇屋はよし此折なるべし、風も柳屋の凉しきには、かりのやどりの西行も、宿かしは屋の色にめでけむ、誰かはまつ屋の松お染かねて、真葛がはらや祇園があなたまで、万灯のひかりに、白日おあらそひて、沈香火底の管絃おも聞つべし、しからばもろこしの歌吹海には、いかなる事の面白かりけむ、援の錦城のあそびには、雨に神鳴おもしらざりし、さて年々の河原おもてには、餅あり、酒あり、になひ茶屋ありて、桜皮焼の煙はふん〳〵と、三千坊の比叡にたなびき、石花菜(ところてん)の滝はさつ〳〵と、八十抔の竜門にみなぎる、名も安兵衛が地黄煎およばれば、味も芳野屋の長命草おうる、辻談義あり、放下師あり、歌祭文には女中おなかしめ、太平記には浪人おたヽずましむ、あるは水囊投に猿猴の手おのばし、あるは滅多的に王余の目おふさぐ、辻に早嫁の恋おさへ、橋に乞食の無常おだに、覗からくりの地獄極楽も、都は一銭に善悪お見すれば、一刻千金のあそびの中に、巾著摺はいかに見るらん、〈◯下略〉