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日本歳時記
四六月
十六日、此日かじやうといふ事あり、歌林四季物語にいはく、かじやうは嘉祥とかきて、仁明のすべらぎ、承和の比ほひに、御代のさか行ことおいのらせおはして、賀茂上の御やしろにたてまつりて、御はらひなどなしそめ給ひたまへり、六月十日あまり六日なん、吉日なるよし、御うらの人々かうがへ申せばとて、その日おこなはれ、年号おもあらためて、嘉祥とものせしかば、ながく此事嘉祥と、ねんがうによりて、さだめられしと、当社県主賀茂の道幹が日記に侍る、又羅山子の説には、近比世俗に雲伝るは、室町家大樹の時に、六月納凉のあそびのために、楊弓お射てかけものとし、負たるもの嘉定銭十六文お出して、食物お買て、かちたるものおもてなすなり、嘉定は宋の寧宗の年号にて、十七年あり、其年毎に鋳たる銭に、元年より十六年までのしるしあるお、十六銭あつめて、今日一人ごとのもてなしものヽ代に定むるなり、右の本説たしかならざれども、ならはし来ることかくのごとし、 今按ずるに、四季物語の説にしたがへば、そのよつて来る事、誠に久しき事になん侍る、されども延喜式、江家次第、公事根源、年中行事などにも見えず、まして国史にもしるさヾれば、いぶかしき事にこそ覚え侍れ、羅山子の説のごとく、ちかき世よりの事なるにや、猶本朝の故実にくはしからん人お待のみ、