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後水尾院当時年中行事
上六月
十六日、兼日おの〳〵嘉定おたぶ、院、女院などへは勿論参る、御所御所摂家方門跡方、その外人々時宜によりてたぶ、定たるやうなし、つねにならします方にて、嘉定何にても七種とりならべて、御前に供ず、親王御同宿のとき、女御などあるときは御相伴なり、御前お撤して後、女中御かつうお持参して、御前にて給る、今日は女中の衣しやう、すヾしのうらのねりに、こしまきおする也、こしまきはねりにても、まろすヾしにても、おもひ〳〵なり、内々の男衆は、兼日長はしより、ふれ催して参る、常の御所の南面おとり放て、ひさしと申の口との間に、翠簾おかけわたして、女中見物の所とす、男衆おもひ〳〵にかつうお持参してすのこに候ず、公卿一列、殿上人は、公卿の後に又一列也、上段の南のはしに、しとねばかりお、しかせおはしまして御見物也、とり〴〵かつうお給はる、事はてヽ下臈よりしりぞく、更に各すヽみ出て、元の座につく、六位の蔵人てうしに肴の台などもて出て、御とほしあり、五ど土器などいでヽ、うたひなどうたふ、毎度えひ過たるもの多くしてにぎはし、