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倭訓栞
前編十四多
たなばたつめ 倭名抄に織女お訓ぜり、万葉集も同じ、棚機姫神おして、神衣お織しめたまふこと、古語拾遺に見えたり、よて織女おたなばたつめといひしより、織女星おも同じく名くる成べし、つは助語なり、織女の年に一度牽牛に嫁する事は、斉諧記に出たり、たなばた妻てふ意に心得るは誤れり、神代紀の歌に、おとたなばたとよめるは、弟棚機の義也、〈◯中略〉七夕お義訓するは後世の俗也、理なし、万葉集にはなぬかの夜とよめり、宋時、節序皆有休暇、惟七夕、有司皆入局不准仮、と委巷叢談に見ゆ、七夕の歌に糸およむは、月令広義に、是夕人家婦女結綵縷、穿七孔針と見えたり、ねがひの糸は、白居易が詩に、憶得少年長乞巧、竹竿頭上願糸多と見えたり、まうけの糸ともいへり、庭の琴も七夕の琴也、衣およむは、竹林七賢伝に、旧俗七月七日、法当晒衣とみえ、七夕の雨お洒涙雨といふよし、歳時記にみえたり、源順が歌に、
 織女はそらに知らんさヽがにの糸かくばかりまつる心お、是は事文類聚に、京師七月七夕、婦女望月、以小蜘蛛在合子内、次日看之、若網円正謂之得巧、〈◯中略〉星夕は御硯水、江州山辺邑星の井の水お用う七月初旬に、文殿の官人下向し採来といふ、