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後水尾院当時年中行事
上七月
七日、梶の葉に歌おかヽしめ給ひて、二星に手向らる、御引なほしめして、御三間の御座に著御、御はいぜんの人、例のきぬおいだきて御前に参る、かけ帯ばかりおかけて候ず、内侍ひとへ衣おきて、御すヾりおもて参る、其やう重硯の中のすヾり七つおとり出し、ひろぶたにすう、二とほりに並ぶ、上に三つ、下に四つ也、いもの葉に水おつヽみゆひて、ひろぶたの上の方の御右の方角によせて、あたらしき筆お二管、墨一挺、硯の傍におく、梶の葉七枚お重ね、おなじ枝の皮七すぢ、そうめん七すぢ、索べい二つお三方にすえて御前におく、七つの硯にいもの葉の中なる水おそヽがせたまひて墨すり、梶の葉一枚づヽとりて、歌おかヽせ給ふ、或は当座御製、或は古歌定やうなし、硯七面おかへて一首づヽかき終せ給ふ、〈古歌ならば七首也、当座の御製ならば、同じ一首お七枚に書なり、〉はいぜんの人梶葉七枚お重ねて、索べい二つお中に入ておし巻、上下お折てかぢの木の皮七すぢ、索餅〈◯索餅恐索麪誤〉七すぢおもて、十文字におし結びて出すなり、女官便宜の所やねに打あぐ、中なるものに心おかけて、からすなどのかけてゆくこと、毎度の事也、御硯は院女院親王女御等御座の時、次第にまいらせらる、御ものし右京大夫などもて参る、〈◯中略〉こよひ星の和歌兼題にて各詠進す、講ぜらるヽ迄はなし、たヾとり重ねて置るヽばかり也、毎年一首懐紙也、若七首のくわいしあり、同御遊あり、勿論御所作堂上地下のがく人しこう、盤渉調七なり、但御遊は有無不定也、