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守貞漫稿
二十七
七月七日、今夜お七夕と雲、〈たなばたと訓ず、五節の一也、◯中略〉
今世大坂にては手跡お習ふ児童のみ、五色の短冊色紙等に、詩歌お書き、青笹に数々附之、寺屋と号る筆道師家に持集り、七夕二星の掛物おかけ、太鼔など打て終日遊ぶこと也、江戸にては児ある家も、なき屋も、貧富大小の差別なく、毎戸必らず青竹に短冊色紙お付て、高く屋上に建ること、大坂の四月八日の花の如し、然も種々の造り物お付るもあり、猶色紙短尺はともに半紙の染紙也、如此江戸にて此ことの盛なる、及び雛祭の昌也は、市中の婦女多く大名に奉公せし者どもにて、兎角に大名奥の真似おなし、女に係る式は盛なる也、故に男の式は行れず、形ばかりにて女式は昌也、〈◯図略〉作り物、昔は家に自造して興とす、今はほヽづき形、帳面の形、西瓜お切りたる形、筆形等、又枕の引出しより文の出たる形など売る、然れども希に自作して、種々の形お付する者往々有之、作り物多くは竹骨お用ひ、紙お張る、右図の梶葉くヽり猿瓢等は、紙にて切たるのみ、