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海録
十七
問曰、七月十五日中元の時お盆と名て、先祖の精霊お供養すること、仏教に分明に出候や、答曰、盂蘭盆会は、仏在世に初りて、支那に伝るも古きことなり、法苑珠林一百三〈十右〉晋劉薩呵師伝曰、七月望日、沙門受臘、此時設供弥為勝、続僧伝三十九〈廿一左〉隋徳美伝曰、夏末、諸寺受盆、随有盆処皆送物、往俗所謂普盆銭也、俗書には、晋の荊楚歳時記〈十四右〉に出たり、故に知ぬ、晋隋に已にこれあるなり、日本には、推古のときと雲、又聖武の時と雲へども、明かなるは日本紀二十六、斉明天皇即位三年に始り、即位五年には、寺々に盂蘭盆経お転ぜしむ、これ其初なり、一夏九旬おはりて、僧臘お重るの日なればなり、〈◯中略〉水府黄門源義公、久昌寺の法則お定め玉ふ十七条の中に、近世薦亡者修法事、出其位牌於仏殿、香華茶菓備極供養、而仏前供具不及其百分之一、是大訛也、夫薦亡之法、以諸供物奉献如来、勤修法事、則依其功徳力、亡者昇脱、然不供如来、而惟供亡者、則凱理也、向後薦亡法事、当如法行之、至亡者牌位、則於其平生所安之処供養而可也と、此説善尽し美お尽せり、此ことに準じて、盆の供養も思ひ知るべし、盆祭りの時に、亡者の来ると雲ことは、経説に見へねども、敬によりて鬼神は著る、仏説より雲へば、心仏衆生は融即せるものなれば、来ると思て祭るに、来ることなしと雲ふべからず、然れども仏の威力おかるときは、追福の功何ぞ空しからんや、〈同上〉