[p.1254]
公事根源
七月
盂蘭盆 十四日
内蔵寮御盆供おそなふ、昼御座の南の間に、菅円座一枚お敷て、主上援にて御拝あり、幼主の時はなし、天平五年七月に、はじめて盂蘭盆お大膳職にそなふと見えたり、盂蘭盆は梵語なり、倒懸救器と翻訳す、倒懸はさかさまにかくると雲心なり、餓鬼のくるしみお思ふに、さかさまにかけたらんがごとし、救器は此餓鬼の苦おすくふうつは物なり、仏弟子目連、はじめて六通おえて、其母の在所おみるに、餓鬼の中に有しかば、是おかなしみて、則釈尊にまうでヽ、此苦おすくはん事おもとめしかば、七月十五日に、自資の僧お供養せば、解脱おえんと説給し由、盂蘭盆経にみえたり、昔斉明天皇の御時、飛鳥寺にして、須弥山のかたお作り、盂蘭盆会おまうけられけるとかや、すべて諸寺にて、行はるヽ事なるべし、