[p.1284]
守貞漫稿
于盂盆戯
京師は僮僕箱、提灯お携へ並ひ列し、先往く、次に女児等美服お著し、五七人づヽ手お携へ、並に左の辞お唄ひ往く、或は二三行、或は五六行、皆横に連れ歩む、傅の婢は団扇お以て女児に添て仰之、女児の唄ふ発語に、必らず、さあのやと雲、故に此戯の名おさあのやと号く、さあのや〳〵雲々、大坂は数十の女児幾人にても縦に連り、一行に往く、幼お先とし、年長お後とす、各己が前なる女児の帯お持て竪に列す、乃ち雁行に似たり、衣服又美也、文化後迄専ら無地緋縮面の単衣に、黒天鵝絨の半襟おかけ、広袖にして袖口の半ばに、大角豆と号け、紅紫黄青等の縮緬おほそく長尺余に数条おくけ、四五色お交へ付る、年長の女児は不附之、又単衣も緋お用ひず、他の美服或は絽のかたびら等也、無地緋服の者の帯は、黒天鵝絨お専とす、文政末より右の緋服お著るも、漸くに減ず、他色の衣服多し、又京都の如く、筥提灯等お携へず、婢は添て団扇もてあふぎ往もあり、