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後水尾院当時年中行事
上八月
朔日、けふは御たのむとて、各おもひ〳〵の進物おさヽぐ、返しおたぶ、儲君親王よりは、だんし十帖〈鳥子一まいおよこにおりて、たてに中央におしおりて、又三つにおり、都合八つづヽ折也、腰に同じ鳥子お五分ばかりに切、女房ひいなの帯の如くにしてさし入、是お一帖として十帖重ね、杉原の帯の如くにはい、又鳥子おたヽみて捻の紉とする也、紉のたけはヾは恰好次第に調るなり、〉にはいし一つヽみおすへて参る、陽明よりは、中高だんし十帖に御扇参る、勾当内侍よりは、だんし十帖御帯二すぢ参る、飛鳥井よりは、たんざく百枚、柳筥にすえて参る、高倉よりは、だんし十帖に御くみかけ二すぢ参る、みなせよりは御やうじの木一ゆひ、帚二本参る、てんやくの頭よりは、さかう丸、鴨の社務は、むしこなどしん上す、これらは大方定りたる事也、其外諸家は大概御太刀お進上す、人々の名字お書て札お附、札ばかりおとヾめおかれて、太刀おかへしたぶ、将軍家よりは馬太刀進上也、太刀は此御所のお申出して進上の分也、だいばん所の妻戸より、勾当内侍とり入、武家伝奏披露也、元は太刀もしん上とみえたり、旧院ゆどのヽ上の日記などには、銘などしるしてあり、いつ比より申出さるヽ事にてや、馬は左右馬れうの官人引て出、朝がれひにて御覧あり、御返しには大たかだんし十帖に、うち枝、〈此橘の枝の七なりの枝也〉勅作入てたぶ、陰陽頭札進上、御てんの柱におさる、牛かひ御礼に参る、正月に同じ、あさ盃、あさがれひ等みな例のごとし、夕方の御祝、初献にそへておばなのかゆ〈はぎのはし也〉お供ず、是も初献のうち也、六月朔日のこほりもちいなどの類也、まいるやうもおなじ、