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年中定例記
八月朔日、御対面御祝、毎月の如し、
一御憑 禁裏様へ御進上、〈目録在之、大高檀紙一枚、伊勢守調之、〉御使伝奏、御返まいる、御使同前、摂家、門跡、公家、大名、外様、御供衆、総番衆、頭人、奉行、其外こと〴〵く進上、地下衆、職人、御牛飼、河原者、さんしよの者まで、似合の物お進上、大和国衆、奈良の門跡坊官、上杉雑掌判門田、いにしへは、かい伊勢守被官蜷川越中なども進上申候、七月晦日、八月朔日、同三日、両三度、右大名衆は御進上にて、近年は朔日の分進上候、又女中衆、御比丘尼衆、賀茂衆、五霊、今熊野神子も進上申候、大方進物共定候、御返しの事は、御はからひの衆と申には、御返し過分に出候、大方の職人には、一重の代として、三百匹二百匹など、人によりて出候、御医師賀茂衆などには、から物引合などそへて似合たる物出候、
一御たのむ総奉行伊勢守、〈古より此分〉右筆御はからひ方は、代々同前、備後守方に仕候右筆はさだまらず候、近年は下総守仕候つる、
一御返の御使両人にて候、是は門跡大名衆へまかり候、代々勢州名字仕候、某右筆参候時は、子にて候貞茂仕候、進候は貞遠と両人仕候、御使在所、日野殿、三条殿、此次に西殿へ参候、門跡へは聖護院殿、青蓮院殿、実相院殿、吉良殿、石橋殿、渋川殿、武衛、細川殿、畠山殿、山名殿、一色殿、讃岐殿、修理大夫殿、〈此四人御相伴に御参次第〉赤松、京極、大内、〈此三人座敷同前〉細川殿、御母上さまへは同朋衆まいる、摂家へは取次の方へわたし候、其外の衆は、殿中へ祗候候て御給候、奈良衆、賀茂衆、取次の方へ渡候、色々故実共候、
一大名御供衆などは、御返しの御礼に御参候、
一朔日殿中にてめしあり、御たのむ方より下行、ひる勢州より点心名へまいらせられ候、御酒あり、佳例也、
一二日、於殿中御憑御返各申合候て参候、此間はからひ右筆の人、各酒おまいらせられ候、
一御はからひとは、御返の物お取調候ておき候お、公方様そと御覧ぜられ候、是お御はからひと申、此衆規模なり、御はからひの同朋衆には千匹づヽ也、
一三日、御憑、今日こと〴〵く御返すみて、のこりたる物お、右筆両人、御使人、同朋、御ちりとて、鬮にて給候、先勢州へ可然物お二色三色まいらせられ候、いにしへは用脚など過分に御座候て、方方へ御ほうが、又人の御とぶらひなどにもたまはりたる由申候、