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高貴八朔考
御馬進献之記      牧野成著〈伊予守〉
古き世のためし、とし〴〵あづまより駒ひきて、八月朔日大うちにさヽげらるヽ、御使は、大御番おさの役なり、かくて文政むつのとし、左の役つとめよと仰お蒙りければ、かしこみたてまつりて、
 あふぐぞよ今日こヽのへのみかは水汲ども尽じ君が恵は、さてその日にもなりしかば、湯あびくしけづりなどして、従者どもにいたるまで、身おきよめ、朝とくよりいでヽ、まづ施薬院といへるかたに立より、しばしやすらひ、衣冠著してまちける、やがて御附森川美濃守氏昌、松平伊勢守定朝よりあないありければ、すぐに立出て行ける、宣秋門の前にて、のりものよりおりぬ、美濃守、伊勢守同じく衣冠にて出むかひ、御車よせのまへ清凉殿のかたお左にして、また、ひら唐門のうちにいり、諸大夫の間にいたりぬ、美濃守、伊勢守かたはらに侍り、むかひに非蔵人ふたり、みどりの袖おつらねてざせり、やがて広橋一位胤定卿、甘露寺前大納言国長卿いできたり給ひぬ、御使つとめらる、次第恐れあればこヽにしるさず、 それより美濃守、伊勢守あないにて、神嘉殿のわきより月華門の前お過、右腋門おいり、紫宸殿お拝し奉れば、みとのヽさまよのつねならず、ゆほびかにつくりなして、御障子にはいにしへのひじり、又かしこき人々のかたちおあまたえがきたるは、住吉内記広行の筆にして、威風凜々たり、〈◯中略〉節会の儀式此所にて行はるヽよし、日花門のうち廻廊より左掖門お出て、御鳳輦お拝し、内侍所お左にして廻廊之外承明門の前お過て、もときしみちにかへりぬ、