[p.1310]
東都歳事記
三八月
十五日 看月諸所賑へり〈家々団子、造酒、すヽきの花等月に供す、清光のくまなき、うかれ船お浮べて、月見おなす輩多し、〉 今夜吉原の賑ひ大方ならず、廓中のならひとして、遊女より馴染の客へ杯お送る事、宝永の頃角山口の太夫香久山より始りけるとぞ、又待宵既望ともに賑へり、 元禄の頃迄は、良夜に三派の月見とて、船にて大川へ出たのしめる事あり、此夜に限り官のゆるしお得て、花火おともしけるとなり、享保の頃にいたりては、此事少かりしよし、江戸砂子拾遺にいへり、中古迄は麻布六本木芋洗坂に、青物屋ありて、八月十五夜の前に市立て、芋お商ふ事火かりし故、芋あらひ坂とよびけるなり、近来は坂上に市立り、