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俳諧歳時記
九月
十三夜 後の月、二夜の月、豆名月、栗名月、七十五代崇徳院保延元年九月十三日、今宵雲清く月明らか也、是むかし寛平法皇明月無双のよし仰出さる、依て我朝九月十三夜お以明月の夜とす、〈中右記〉今夜の月お玩ぶや、無題詩に載る所の藤原忠通公の詩、証とするに足れり、菅家の作の如き、配所に在て、たま〳〵九月十五日の月お詠じ給ひし也、後人妄りに五の字お以三となし、証とするものあり、或は兼好が婁宿の説の如き、又信とするに足らず、亦建仁寺三益和尚十三夜の詩の序に、延喜の御時始まると記せり、はたこよひの月は、唐山にも賞すると見えて、明の十二家詩に、鄭少谷、何大復が詩あり、本朝の俗、九月十三日お豆名月と称し、又栗名月と名づく、是栗お以節物とし、或は〓お製し、莢豆お享てこれお食ふ、こヽおもて名づく、又俗間今宵必芋子お食ふ、その芋子外皮お除ずしてこれお享る、この芋お呼て衣かつぎといふ、後の月は八月十五夜お前とし、九月十三夜お後とするの称、二夜の月は、中秋、季秋、両夜月お賞する故にいふ也、