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後水尾院当時年中行事
上九月
八日、内蔵頭きくわたお献ず、女中方の沙汰として、菊の花につくりて、院、女院御所にて女中にたぶ、后のおはします時は、后の御れうとて、すこしこぶたに作りて、菊の枝におほひて、おしきにすえて御しやうじの内におく、内侍ひとへぎぬきてもて参る、常の御所西庭に菊おうヽ、大黒これお役す、下行あり、夕方常の御所にて、こぶあはにて一献参る、其後にしのすのこに出おはしまして、砌の下にうえたる菊に綿おおほはる、綿、〈包紙あり〉御はいぜんの人もて参る、ひとりのれう、白三輪、赤三輪、黄三輪、都合九りんなり、主上、院、女院、中宮、親王などは、こぎくとかいひて、菊の花のうへに、しべのやうに小りんあり、白きには黄、赤きには白、黄なるには赤おする也、女中も次第に持参しておほふ也、綿きせはてヽ、包紙は菊のもとに残しおく、次の人包紙お其上にかさね、おの〳〵かくのごとし、はてヽのち、又一人の料は、おしきにそへて菊のもとにおきて、内々小番の衆おめす、こそりとおほふ也、