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殿中申次記
御亥の子諸家出仕様体之事
一御対面所へ御出座候て、則申次御前へ参、面々と申入候て、則三職以下御相伴衆之大名、一列に御前〈江〉被参著座候て、御膳参り候、同二の御膳も参る、左様に候て、三職以下一人づヽ直に御給候て、直に退出なり、次に国持の外様、同打つヾきて被参、如此之後二の御膳おあげ被申候て、御とほりに置申て、常の外様一人づヽ被参候て、則御ぜんの御なりぎりお給て、頂戴候て退出なり、如此ありて御とおりに置被申たる御膳お、かげへ取申され候也、
一如此次第ありて、別の御膳お持参候て、御前に置被申時、御供衆御部屋衆申次已下被参候て、直に被下之候也、
一各参すみて公家と申入て、公家衆一人づヽ御参候て、直に被給候也、
一伝奏御事は、公家達の中に被参候也、
一禁裏様より参らせらるヽ御厳重は、伝奏公家中にて被参時、被持参申候也、如此之段、もと〳〵よりの御様体也、然に恵林院殿様〈◯足利義稙〉御代禁裏様御厳重お、一番に御頂戴ありたき由上意にて、面々よりも前に、伝奏と申入て被参候也、其分至于今無相違也、一御膳は以上三膳参り候也、御配膳は如常御供衆勤役也、
   右趣者貞記録在之〈◯中略〉
一御亥子次第之事〈季遠卿の御筆なり、〈歌に〉神無月時雨のあめのあしごとにわがおもふことおかなへとぞつく   つく〳〵の歌〉
如常御対面所へ被成御出、則申次面々と申入、三職お始て、御相伴衆之大名一列に御前へ祗候候て、二膳まいり候て、御相伴衆次第に頂戴候て退出候、其次国持之衆、此内国持ならねども、国持に准じて、外様も少々在之、被参候て後、二膳まいり候、内一ぜん御とおりへ被出候て、如常に外様被参候て、此一膳は則あけ申て、又別に一膳御前へまいり候て、御供衆申次番頭已下節朔衆、医師〈上池院又清も参候歟〉参り候て、其後公家と申入て、公家被参候、又御部屋衆は御供衆と申次の間に被参、御供衆御部屋衆申次と次第在之、
一御亥子の事、古記録の上にては難致分別間、御佐五御局〈并〉春日殿へ尋申候処、懇に注給之趣写置之、同御両御局の文在之、
  御亥子の御祝之様体之事
一一番に三つ之御盃参候
一二番にくろき赤白三色の御厳重、かくの折敷につませ候て、三ならび、御四方にすはりて参候、又同かくのおしきに、黄なると青きと二ならびて、御四方にすはりて参候、
一三番につく〳〵御四方にすはりて、なかぼそは御はしのすはり候ごとくに、御まへにおかれ候、何も一度にまいり候て、御祝の様体、常のごとく御座候て、やがて御てうし参候、三の御盃は、女中衆ばかり御いたヾき候、御げんでうの事は、御手づからみな〳〵に下され候、
一四番目にのし四方にすはりて参候、さて御てうし参候、
一つく〳〵の上におかれ候五色のこは、くろきおなかにおかれ候、一つく〳〵は御ひと 御所様ばかり参候
  つく〳〵の上におかれ候 〈御四方の上にすはり候、三つすはり候お、まづまいり候て、のちに二すはり候が参候、〉黄、赤、黒、青、白白、黒、赤黄、青
一かくのおしきに、しのぶ菊おかひしきにして、御げんでう十七八廿ばかりほどつみて、うつくしききく、しのぶにてかざり候、
一つく〳〵には、くもはくのやうにえどり候て、きくしのぶなど絵にかきて、金はく白はくにて、うつくしきえどり候、何も五色にさいしき候、
一なかほうも、つく〳〵のごとく、時々の絵おかヽれ候、一番の亥にはきく、二番は紅葉、三番はいちやうにて、何もうつくしく色どり候、
一御げんでうのつヽみ紙には、きくしのぶお、ちうでい、しろでいにて、とき〴〵の絵おかヽれ候、従永正十三丙子至同十七庚辰歳記録事〈◯中略〉
十月三日 一公家、大名、外様、御供衆、申次以下出仕、 仍御成切頂戴之、如例年之、 一能勢餅卅合、〈例年進上之〉善法寺、 一初鱈三、武田大膳大夫、 一鮭二尺、大草三郎左衛門尉、
十五日〈辻の坊八瀬童子は、亥の子三つ有之時は、中の亥の子進之、〉 一柿餅三籠、〈例年進上之〉宇治辻の坊、 一餅一籠、栗一籠、〈例年進上之、御太刀被下之、〉八瀬童子、 一能勢餅卅合、〈例年進上之〉善法寺、 一公家、大名、外様、御供衆、申次已下出仕、 仍御成切頂戴之如前、 一柿餅二籠、〈例年進上之〉宇治報恩院、
廿七日 一能勢餅卅合、〈例年進上之〉善法寺、 一鮭十尺、〈例年進上之〉細川右馬頭、 一公家、大名、外様、御供衆、申次已下出仕、 仍御成切頂戴之如前、