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公事根源
十二月
追儺     卅日
けふはなやらふ夜なれば、大舎人寮鬼おつとめ、陰陽寮祭文おもて南殿の辺につきてよむ、上卿以下是おおふ、殿上人ども御殿の方に立て、桃の弓あしの矢にている、仙花門より入て、東庭おへて滝口の戸にいづ、こよひ御前に灯おおほくともす、東庭、朝餉、台盤所のまへのみぎりに、灯台お隙なくたてヽともす也、追儺といふは、年中の疫気おはらふ心也、鬼といふは、方相氏の事也、四目ありて、おそろしげなる面おきて、手にたてほこおもつ、又侲子とて廿人紺の布衣きたる物お率して、内裏の四門おまはるなり、慶雲二年十二月にはじまる、此年天下に百姓おほく疫癘になやまされ侍し故なり、