[p.1382]
公事根源
十二月
立土牛童子像     大寒日
大寒の日、夜半に陰陽師土牛童子の像お門口にたつ、陽明、待賢門は青色の土牛おたつ、美福、朱雀門には赤色なり、談天、藻壁門は白色なり、安嘉、偉鑒門には黒色也、郁芳、皇嘉、殷富、達智の四門には黄色おたつるなり、青色は春の色、ひんがしにたつ、赤色は夏のいろ、南にたつ、白色は秋のいろ、西にたつ、黒色は冬の色、北にたつ、四方の門に、また黄色の土牛おたてくはふるは、中央土のいろなり、木火金水に土ははなれぬ理有、慶雲二年天下疫癘さかりにして、百姓おほくうせたりしかば、土牛おつくり追儺といふ事はじまりき、異国の書には、農事のために時おしめさんとて、土牛お立るよし見えたり、