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壒囊抄

節分の夜大豆お打事は何の因縁ぞ、是更に慥なる本説お不見、由来お雲人なし、但し或古記の中に雲、節分の夜大豆お打事は、宇多天皇より始れり、鞍馬の奥僧正谷、美曾路池の端の方丈の穴に住ける藍婆総主と雲二頭の鬼神、共に出て都へ乱れ入んとしけるお、毘沙門の御示現に依て、彼寺の別当奏し申子細あり、主上聞召すに、明法道に宣旨ありて、七人博士お集て、七々四十九家の物お取て、方丈の穴お封じ塞で、三斛三斗の大豆お熬て鬼の目お打は、十六の眼お打盲て、抱へて帰るべし、又聞鼻と雲鬼、人お喰はんとするおば、䱝( /こい)〈◯䱝字傍訓、塵添壒囊抄作いはし、〉お炙串と名付て、家家の門に指べし、然らば鬼は人お不可取と雲御示現也と雲々、