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比古婆衣

口女 神代紀海神宮の段に、火々出見尊御兄火酢芹命の句お失ひ給へる由お海神のきヽて、魚どもお集て、覓得たる事お載られたる一書の中に、海神召赤女口女問之時、口女自口出句以奉焉、赤女即赤鯛魚也、口女即鯔魚也、また一書に、亦雲、口女有口疾即急召、至探其口所失之句立得、〈◯中略〉土佐日記元日の条に、今日は都のみぞおもひやらるヽ、こヽのへのみかどの、しりくめ縄のなよしの頭ひヽらぎら、いかにとぞいひあへるとあるは、そのかみ、かの口女の喉の句のために、痛み疼きたる古事によりて、元日にかの魚の頭と杠谷樹お宮門に挿れたりしなるべし、〈◯中略〉近むかしよりの世の風俗に、春の節分の前夜儺すとて、鰯とひヽらぎの枝お葉ごめに門戸に挿すも、上に論(い)へるごとく、元日の賀儀の儲お、大晦にものせることの、春の節分に儺ふ事となれるにつれて、混(ひとつ)にうつり来しものなるべし、〈春の節分の前夜、大内にて追儺の豆うちせさせ給へること、文亀四年の元長卿記に見およびたり、そのかみ既(はや)く古の式は廃れ革りたりしなり、〉