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鶉衣
後編
節分賦 こよひは鬼のすだく夜なりとて、家々に鰯の頭、柊さし渡す、我大君の国のならはし、いづくか鬼のすみかなるべき、昔の聖は衣冠して、殊に此夜おつヽしみ給ふとこそ、世おのがれたる翁の巨燵に足さしわたし、年お惜むの外に、何のわきまへたる事もなきこそ中々安かりけれ、今は捨たる世ににげなきわざながら、家に老たる男の、かヾめる腰にしほたれ袴かけて、けしきばかり豆うちちらし、声わなヽきて鬼やらひたるも、昔覚えておかし、年の数お豆に拾ひて、厄払ふ者にととらするものとて、おのがさま〴〵する事なるに、むかしは膝のあたりかい探りても、其数お得たりしが、今は八畳の一と間にもあまるばかりに成にたるぞ詫しきや、厄払ふ男の、宵は町々おめぐりし後、夜更るほど声呼からして、此わたりへも音なふ事にぞ有ける、行年波のしげく打よせて、かたち見にくう心かたくなに、今は世にいとはるヽ身の、老はそとへと打出されざるこそせめての幸なれ、 一えだの梅はそへずや柊うり 雪はらふ垣ねや梅の厄おとし、 梅やさく福と鬼とのへだて垣