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歳時故実大概
十二月
一煤払 近世多くは十三日お用ゆ、〈是は柳営に而、十三日に御煤納め(○○○○)あり、それにならへる期日なるべし、民庶猶今日お専らにするなり、〉貝原氏の歳時記には、十五日お用ると見えたり、近世年中行事の書には、禁裏にては、吉日お撰て御煤払ありと見えたり、〈吉日お撰む事は、陰陽家より日時の勘文と雲ものお奉りて、それにて定めらるヽなり、〉閩書曰、臘月廿四日毎家掃塵雲々、是は廿四日お期日として、屋中お掃除すると見えたり、和漢共に新年お迎ふるの儲に屋中お掃除して万の事の清からん事お欲するなり、別して異なる事もなきなり、〈或説に、煤払と雲事は、陽成院の御宇より初ると言り、いぶかし、古書に所見かつてなき事なり、〉 此日壮年の婦女奴婢の属は、相ともに戯れ興じて、家長貴人お論ぜず、見るまヽにとらへ戯れて、胴に挙ると称して、賑ひのヽめく事あり、いかなるゆへと言事おしらず、誠の俗間の一戯興なり、