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後水尾院当時年中行事
上十二月
煤払、陰陽頭勘文にしたがひて日時お定めらる、勾当ないし兼日殿上人おふれ催して、各参りあつまる、其外はみすや大はり衛士の者お、それ〴〵の奉行催しによりて参る、刻限に典侍一人、内侍一人、ひとへぎぬきて、剣璽の間〈近代此間あり〉より剣璽の案ながら〈二かい厨子〉お舁出して、常の御所の御座のうへに、大宋の屏風一双引めぐらして、しばらくその中に案ず、神祇の伯けんじの間の煤お払ひ掃除せしめ、事おはりて本やく人、剣璽おもとのごとく舁、其後吉方より払ひそむ、すのこの方は、衛士手のものあまためし具してそうぢせしめ、御簾畳も新調、或は古物おさらしてこれおとヽのふ、是も手の者参りて合力する也、是間便宜の所にうつりまします、其所にて二献あり、初献〈かちん〉二こん〈でんがく〉供じおはりて、御前おてつす、其後女中にもたぶ、御見廻しこうの公卿、めされたる殿上人、内々の衆は、のこりなくめし出されて、かちんでんがくなど給、御乳母これおやくす、勾当内侍酌、伊予さかなにて御とほしあり、其日は女中老若によらず、世俗にうちかうふりとかいふ綿おかづくなり、いかなることにか、ゆえはしらず、勾当局にて、かれいのしふぎあり、内侍所にても、近年嘉例の事ありといふなり、さうぢの事終りて、本殿に還御、常の御所にて御さかづき参る、あつもの、そろ〳〵、柑子やうの物三献あり、女中もあつもの、そろ〳〵、例のおしきひとつにすえてたぶ、さかづきは女中ばかりとほる、天酌迄の事はなし、