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東都歳事記

十一月廿三日、川崎山王宮年の市、この辺の賑ひなり、 十二月十四日、今明日深川八幡宮年の市、〈江戸市のはじめなり、諸人群集す、商ひもの浅草の市に同じ、〉十七日、今明日浅草寺年の市、〈今日宝前には修法なし、堂前にて大黒天開運の守お出す、当寺境内は雲に及ばず、南は駒形より御蔵前通り浅草御門迄、西は門跡前より下谷車坂町、上野黒門前に至る迄、寸地お漏さず仮屋お補理し、新年の儲けとて、注連飾りの具庖厨の雑器、破魔弓、手鞠、羽子板等の手遊び、其余種々の祝器おならべ售ふ声は、巷にかまびすしく、都鄙の詣人是お求るお恒例とし、陰晴お嫌ず群集する事、更に昼夜のわかちなく、大路に駢闐して東西に道お分け兼、縦横に目も配りがたし、又裏手の方は、山の宿、砂利場に満て火し、此日吉原の賑ひいふも更なり(中略)又此所に三八の日市立し事ありしとぞ、〉 廿日、廿一日、両日神田明神社年の市、〈浅草につヾひて繁昌す、境内すき間なく仮屋おつらね、三四町づヽ四方へ商人出る、〉 廿一日、大師河原平間寺年の市、この辺の賑ひなり、 廿二日、廿三日両日、芝神明宮年の市、境内にて注連飾の具等商ふのみ、才の市なり、 廿四日、芝愛宕権現年の市、〈浅草に続て大市なり、遠近の商人こヽに集ひ、参詣の老若、通り町は芝の辺より日本橋迄の賑ひなり、〉 廿五日、今明日平河天満宮年の市、〈参詣多し、大市なり、(中略)此頃より、辻々河岸、其余広場等に松竹おならべ、又は仮屋お建て、注連飾の具、歯朶、譲葉、海老、篩栗(かちぐり)、乾柿等お商ふ、除夜には、夜通しに市お立る、又腊魚鮭鱈等お售ふ小屋、街に多し、今川橋、通り町筋、筋違御門外、日本橋四日市、下谷広小路、麹町五丁目等也、其外にも多し、〉 廿八日 〈薬研堀不動尊、年の市、〉