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豊年とは、穀蔬豊熟の年お雲ひ、凶年とは、穀蔬不熟の年お雲ふ、豊年一に満作と雲ひ、凶年一に凶作と雲ひ、或は不作とも、飢饉とも雲ふ、凡そ農業は、天候と人力と相待ちて効果お奏するものなるに、往々天候不順にして、或は霖雨あり、或は旱魃あり、為めに穀蔬の発育お妨げられ、或は大風吹き、或は洪水起り、為めに其成熟お害せられ、秋稼お損ずること、古来其例少からず、就中養和の凶荒は、猶も惨状お極め、京都に於ける二箇月間の餓死のみにても、四万二千余人に及べり、近世天明天保の凶年も亦奥羽の諸国は、死者甚多く、終に人々相食むに至れり、凶年の甚しきものは、斯の如く人おして酸鼻の極に至らしむるお以て、世々の為政者、厚く意お此に用い、農民おして、予め穀類お貯蔵して、不時の用に備へしめ、不幸にして凶年に遇へば、其浅深により、或は租税お免除し、或は種子お貸与するなど、種々救恤の法お設け、勉めて飢餓お済ふの途お講ぜり、而して其救済方法の如きは、政治部賑給篇、救恤篇等に詳なり、宜しく参看すべし、