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源平盛衰記
二十七
大神宮祭文東国討手帰洛附天下餓死事
治承三年の秋八月に、小松内府〈◯平重盛〉被薨ぬ、今年〈◯養和元年〉潤二月に、又入道相国〈◯平清盛〉失給ひしかば、平家の運の尽事顕也、さればにや、年来恩顧の輩の外に、随ひ付者更になし、兵衛佐〈◯源頼朝〉には、日に随て勢の付ければ、東国には諍者なし、自背者あれば、推寄々々誅勠し給ひければ、関より東は、草木も靡とぞ、京都には聞えける、去程に去年〈◯治承四年〉諸国七道の合戦、諸寺諸山の破滅も猿事にて、天神地祇恨お含給ひけるにや、春夏は炎旱火、秋冬は大風洪水不斜、懇に東作の勤お致ながら、空西収の営絶にけり、三月雨風起、麦苗不秀、多黄死、九月霜降秋早寒、禾穂未熟、皆青乾、と雲本文あり、加様によからぬ事のみ在しかば、天下大に飢饉して、人民多餓死に及べり、僅に生る者も、或は地おすて境お出、此こ彼こに行、或は妻子お忘て、山野に流浪人、巷に伶俜、憂の音耳に満り、角て年も暮にき、明年はさりとも立直る事もやと思ひし程に、今年は又疫癘さへ打副て、飢ても死、病ても死ぬ、ひたすら思ひ詫て、事宜き様したる人も、形お窄(やつ)し、様お隠して諂ひ行く、去かとすれば、軈て倒臥て死ぬ、路頭に死人のおほき事算お乱せるが如し、されば馬車も死人の上お通る、臭香京中に充満て、道行人も不輒、懸りければ余に餓死に責られて、人の家お片はしより壊ちて、市に持出つヽ薪の料に売けり、其中に薄朱などの付たるも有けり、是は為方なき貧人が、古き仏像率都婆などお破て、一旦の命お過んとて、角売けるにこそ、誠に濁世乱漫の折と雲ひながら、心うかりける事共也、仏説に雲、我法滅尽、水旱不調、五穀不熟、疫気流行、死亡者多、と仏法王法亡つヽ、人民百姓うれへけり、一天の乱逆、五穀の不熟、金言さらに不違けり、