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妙法寺記

永正十六、〈己卯〉此年総て一国二国ならず、日本国飢饉して、諸国餓死におよぶなり、当国の内浦の兵庫殿屋形様と取合給ふべきに定り、今日の明日のと卯月迄も不息、売買は米百文、粟は八十、大豆七十、籾六十五文なり、其余は更に売買一粒も無之、就中雑事一本も無之、冬より富士郡へ往還而、芋のからお買越てたべ候、