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一話一言
十五
米金の事 又寛永の末迄は、八木の直段、北国の米五斗の俵、銀六匁に売しお予も覚ける也、其昔午歳〈◯寛永十九年〉大飢饉の時、天下一統飢死の者多、予若年の時、父と連、賀州より越前へ行ける時、小松の串野と雲所お通しに、松原の内に石瓦の如白く見へけり、朝霧深ふして慥成貌見分がたし、依之馬形に尋ければ、あれこそ午の歳の大飢饉のとき、飢死の者の首に縄お付て、此所へ在々より捨たる其骸骨どもなりとぞ申ける、さながら石川の水の干たるが如也、〈◯中略〉
寛永飢饉の事 寛永年中、午年天下一統の飢饉には、田の畔の草おあらそひ、木葉松竹の翠お抜食せしなり、