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大猶院殿御実紀
四十九
寛永十九年二月、すべてこの月より、五月に至るまで、天下大に飢饉し、餓符道路に相望む、また身に一衣覆ふ事もなし得ず、古席おまとひて倒れふすもの巷にみちたり、よて町奉行おして各その郷里おたヾし、領主代官に命じ、飢者おたすけて、その故郷にかへさしめ、その外は市中に仮屋お設け、旦暮粥おつくりて、飢者に施行せられしとぞ、〈家譜、寛永系図、天享東鑑、〉