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視聴草
十集四
延宝飢饉 当年〈延宝三年〉天下大飢饉にて、金子壱両に米五斗宛是お売、銭百文には黒米壱升壱合なり、是に依て人民飢にのぞんで死する族多かりし、其趣上に聞し召され、御慈悲お加わへられ、柳原の土手の下に小屋がけ仰付られ、江戸中の貧人ども其所へ呼び集め、施行粥お被下ければ、皆々悦び来りけり、京都にても、四月九日より北野七本松と四条河原にて、江戸のごとく、貧人共に粥お賜わりし、誠に大慈大悲なりし、京都へ御借米二万俵いでけり、但し表壱軒に付四斗九升九合七勺宛にあたるなり、猶江戸町中へも拝借米仰付らる、然るといえ共、四五年米故、俵より出し候て、升にてはかり候へば、過半ふけ候へ共、皆米お大切にいたし候事ゆへ、臼などにてつき候へば、古米ゆへことの外へりおほく候間、其まヽ黒米にて食し候事となり、御恵みの程有がたく奉存候也、