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農喩
第三 餓死人の事 卯〈◯天明三年〉のきヽんも、此近国関東のうちは、いまだ大きヽんとはいふにいたらず、其故は秋作の実のりも、少づヽはありてとりもし、又御領主方より御救の米穀、および友救の雑穀等もありし故、食餌のたえて、うえ死にせしといふほどのものは、一人もなかりければ也、扠又奥州等の他国にては、うえ死にせしが多くありけり、わけて大きヽんの所にては、食物の類とては一色もなかりければ、牛や馬の肉はいふに及ばず、犬猫までも喰ひ尽しけれども、つひに命おたもち得ずしてうえ死にけり、其甚所にては、家数の二三十もありし村々、或は竈の四五十もありし里々にて、人皆死に尽し、ひとりとして命おたもちしはなきもありけり、其なき跡お弔ふ者なければ、命の終りし日も知れず、死骸は埋ざれば、鳥けだものヽ餌食となれり、庭も門もくさむらと荒て、一村一里すべて亡所となりしもあり、かく成果て見る時は、これに過し悲はなし、然お其由お知らぬ人などは、何ほどのきヽんたりといふとも、さまでの事はあるまじきと思ふもあらんが、其疑おはらさせんために、我慥に聞き届けしお示す事左のごとし、
右卯年きヽんの後、上州新田郡の人に高山彦九郎と雲ひしあり、奥州一見の為、彼国に至り、こヽやかしこと経めぐりあるきしが、ある山路へかヽりしに踏まよひて、行べきかたお失ひ、難義のあまり、高き峯によぢのぼりて、山のふもとお見渡しければ、山間に人家の屋根のかすかにあるお見つけしかば、必悦て、草木お押分けつヽ、やう〳〵としてふもとに下りしに、其村里に人とてはひとりもなし、こはいかなる事にやと見まはせば、田畑の跡は慌々たるくさむらとなり、家々は皆たふれかたぶき、軒端には葎などはひまとはれり、あやしと思ひながら空敷家に入りて見れば、篠竹など椽おつらぬき出たり、其間々に人の骨白々と乱れありしお見て、目も当られず大におどろき、いと物凄おぼえければ、身の毛よだちて恐れおなし、とく〳〵そこお走出、人住む里へと志し、路お尋けれども、あれはてたれば、其あたりには路がたちたえしゆへ、大に苦みしが、路らしきにたづねあたり、とやかくとして、人里に馳着、始て人心地となりけり、かくあれば奥の方のきヽんたりし餓死の様子は、関東へ聞えしよりも、直に其所お見ては、殊更におどろかれ、恐しき事共なりとの物語なりし、