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松屋筆記
八十四
天保七年霖雨及飢饉 天保七丙申年三月十九日壬寅より雨降出て、廿九日までの間、快晴僅に四日なり、其外は降ざれば曇り、或は朝降て晴れ、日中降て夕に止などして四月に成ぬ、四月朔日より八月十五日までの間おなじさまにて、快晴十日にみたず、去年乙未の冬より、今年の春三月にいたるまでに、地震幾十度ふりけん、一日夜に三四度、又は五度もふりし事ありき、七月十八日朝より雨降出、東南の風おこれるが、巳の時よりいたくはげしく成て、面おむくべきやうもなし、〈◯中略〉八月朔日、はた北風雨はげしく、十八日の風につげり、同月十三日夜も烈風雨也、十六日又南風雨いとあらましくて、朔日の風につげり、七月十八日第一、八月朔日第二、十六日第三、十三日第四と順次せる大風雨なり、かくて葛西領金町の堤きれて、江戸川あふれ流れ、二万石の地水底になれる事卅日に過ぎ、水戸通路たえたること十余日なり、武蔵の見沼辺は、七月十八日以後、八月廿三日までも水たヽへて、舟筏かよはず、江戸町売の白米、銭百文に五合なりしが、八月初より四合五勺、同十八日より四合、廿一日より三合五勺なり、此時搗大麦、百文に四合、割麦六合也、小豆一升の価銭百六拾四文、水油一合、調五十文、塩一升六拾八文、大根いとちひさきお拾本つかねたるが百三十二文、大なるは百七十二文にも及べり、茄子はたえてなし、熟瓜冬瓜白瓜など、すべて瓜類ふつになし、西瓜の大さ梨子の大なるほどなるがまヽ見ゆめり、味噌金壱両に十八貫目、さつま芋百文に六百目、里芋壱升六拾四文、その高価ならざるものはなし、魚類たえてなし、実に古今未曾有の凶歳也、
おほやけより命ありて、裏店住の町人男子に白米二升五合、銭四百二十四文、老幼婦女の類は白米壱升五合、銭二百四十八文たまはりき、江戸中すべて三拾弐万二千人余にて、米五千石余、銭拾三万弐千貫許といへり、裏店住にても下女下男弟子などあるものにはたまはらず、表住の者は下女下男弟子などのなき工商にても賜事なし、