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農喩
第九 金お持し者うえ死せし事 享保十七年壬子、西国すべて大きヽん、〈うんか也、此事お年代記に、西国いねむしつき、大ききんと有、〉此時、道にゆきたふれてうえ死せし者おびたヾしく有けり、其中に一人の男ありしが、衣類お始、身のまはり腰の物に至る迄、美々しくてなみ〳〵ならざる出立ゆへに、其所の者、死体お見届ければ、金百両おくびにかけてありしと也、さあれば多くの金お持し人、くい物お求んとて旅に出しと見えたれども、うえおしのぐべき、わづかの一飯お得る事あたはずして、かく餓死せしと察せられたれば、殊に残念なる事也、百両の金お身に添へし人だに、がしおまぬかれざりし有様かくのごとし、いはんや貧乏人のがしせしは、なおすみやかならんとおもひやられしとなり、是は伊予国松山の産にて、正山といひし老僧が、其所にて直に見きヽしとありし物がたりお、わが〈◯鈴木武助〉若き比聞置し事なり、