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有徳院殿御実紀附録
十四
ある時御狩の道なる麦ばたの中に分入玉ひ、近侍の人々に、女等は麦の豊凶お見しりたるやと仰あり、たれもしらざるよし申けるに、府内に生長したれば、さこそあらめ、麦の穂の左によれしは凶年にて、右によれたるは豊年の徴なり、見よ〳〵この麦みな右によれたれば、今年は豊作なるべしとて、また田家のかたにわたらせ玉ひ、あれ見よ農家の小児いづれもつやよく肥ふとりしは、母なる者の食多く、あくまで乳おのみたればなり、また百姓の家毎に去年の芋お埋置しおほり出さヾるおみても、食物の多きおしるにたれり、いづこも〳〵ゆたかなるいなかの様かなと、御喜色おあらはし玉ひしかば、陪従の諸臣、農家のことまでかく至り深くまし〳〵ける事よと、感じけるとなり、