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米沢侯賢行録
米沢に於て諸士申合、山より石お切出し、橋お作り、池お堀、諸所の普請お御手伝と称して働ける、美作嫡子も出て、石車の綱引けるとなり、斯て三年にして、城下に三間半に二十五間の倉五棟出来せり、是皆諸士自身石お引出、山の材木お伐来りて成しけるとなり、かヽりければ封内の諸民、思ひ〳〵に籾お持参し、五万俵お上納せり、されば凶年の備にとて、彼倉に納られぬ、又四十四け所の作事普請、農民我々が力にてせんと願出て、上の費なく成就しける、亦諸士并町在より願に寄て、桑百万本、榛百万本、楮百万本、諸所の空地に植ける、亦小出村といふ所に、農民救米の蔵お建られければ、庶民思ひ〳〵に籾お上納す、此時美作巡見して感悦し、自ら酒器お執て民に飲しめけるとなり、