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西遊記続編

飢饉 近年打つヾき五穀凶作なりし上、天明二年寅の秋は、四国九州の辺境飢饉して、人民の難渋いふばかりなし、余〈◯橘南谿〉などが旅行も、道路盗賊の恐れありて、冬深き頃などは、所々逗留して用心せり、さて春になりても、諸国とも米穀ます〳〵高直に成り、余など途中白米一升お大かた百四十文ばかりお出して求たり、国々城下までも、多くは麦飯、粟飯、琉球芋、大根飯の類お食し取つヾきたり、村々在々はかずねといひて、葛の根お山に入りて堀食ひしが、是も暫くの間に皆ほりつくし、金槌といふものおほりて食せり、是もすくなく成りぬれば、すみらといふものおほりて、其根お食せり、葛の根金槌の類は、其根おつきくだき水にさらし、夫おだんごに作りて、塩煮にして食せり、春のころにいたりては、塩もけしからず高直に成しかば、これおも求めかねて、海辺に出て潮お汲来りて、其潮にて右の金槌団子お煮て食す、すみらといふものは、水仙に似たる草なり、某根お多く取あつめ、鍋に入三日三夜ほど水お替、煮て食す、久しく煮ざればえぐみありて食しがたく、三日ほど煮れば至極柔らかに成、少し甘味も有様なれど、其中にえぐみ残れり、余も食しみるに、初め一つはよく、二つめには口中一はいになりて咽に下りがたく、はや三つとは食しがたきもの也、されど食尽ぬれば、皆々やう〳〵に是お食して命おつなぐ、哀れ成事筆に書尽すべきに非ず、余一日行労れて、中にも大に奇麗なる百姓の家に入て、しばらく休息せしに、年老たる婆々一人なり、いかヾして人のすくなきやと尋ぬれば、父子嫁娘皆今朝七つ時より、すみら堀にまいれりといふ、夫ははやき行やふ也といへば、此所より八里山奥に入らざればすみならし、浅き山は既に皆ほりつくして、食すべき草は一本もさむらはず、八里余も極難所の山お分入り、すみらおほりて此所へ帰れば、都合十六里の山道なり、帰りも夜の四つならでは得帰り着ず、朝七つも猶遅し、其上近き頃は皆々空腹がちなれば、力もなくて道もあゆみ得ずといふ、其すみらいかほど取来るといへば、家内二日の食に足らずといふ、さても朝の夜るより暮の夜まで十六里の難所お通ひ、三日三夜煮て、漸(やう)々に咽に下りかぬるものおほり来りて、露の命おつなぐ事、哀れといふも更なり、中にも大なる家だに斯のごとし、ましていはんや貧民のしかも老人少児、又は後家やもめなどは、いかヾして命おつなぐ事やらんと思ひやればむねふさがる、