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救荒事宜
飢饉お救ふことは急にすべき事 備前の芳烈公、〈◯池田光政〉寛永の飢饉に逢ひ玉ひ、救ひの儀お老臣と相談致され候処、評議まち〳〵にて一決せず、熊沢蕃山先生〈助右衛門〉末座より進み出て、かやうのせつ長僉議は無用に御座候、早く御救ひお下さるべき旨申ければ、芳烈公実にもと思召、早速評議一決して、多くの銀子お出して、窮民九万人〈江〉厚く下され、尚もれたるものもあらんかと思召、御自身又は家老分のものにても、くま〴〵まで御巡見あるべき仰なれども、夫も差支へあらんとて、やはり蕃山先生に仰せ付られ、国中おめぐり行き、御救ひにもれたるものあらば、直ぐに賜はるべきよしにて、銀子十〆目渡され、尚又郡奉行抔へ、御自筆にて御救ひの儀仰渡され、銀子入用あらば、何ほどにても出し遣すべく、たとへ御手道具まで、御うり払被成候ても、御調達可被成間、百姓一人にても餓死致させ候はヾ、其方共越度たるべき旨被仰渡候事、君則烈公遺事などにくはしく見えたり、人君の仁政、かくありたきものなり、