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類衆名物考
姓氏九
骨名 かばね
かばねは人の骨骸にて、一身の本とする所にして、天地の金石有が如く、家屋の柱楹あるに似たり、然るに此事、西土の書には准拠べきものなし、姓氏の字お借りて書たれども、その事やヽ異なり、たとへば今世俗の符券(ふてう)といふが如く、目しるしにするやうの事なり、先祖の功労、我身の勲功によりて賜る事あり、又一等すヽみて升る事も有なり、今公家にて清花羽林名家などいふ様の階級の有如く、江戸にても公家衆と雲、両番筋大番筋といひ、又は甲府衆桜田衆などいひ、参河御譜第といふが如き、その筋目によりて、それ〴〵の符牒おつけて、人にもしらせ、その家の矩模とも成様の目印にせし事なり、それより立身すれば、宿禰より朝臣にも進み升るなり、御目見以下より以上に進み、地下より殿上人に戊といふの類ひなり、さてその加波禰といふ詞の意、しるせしものいまだ見当らず、なにの故なる事お許にせず、賀茂真淵の説には、阿加馬奈の意にて、阿は発語にて米お婆に通はしいへるならん、馬は呉音め、漢音ばなれば、相通ふ事にて崇(あがめ)名の事なるべしといへり、是又その由故有ともいふべし、しかれども古書にいまだ出さず、続日本紀〈第十八〉に、孝謙天皇の御世に、雀部朝臣真人等が上表して、その先祖のかばねの事おいへる事有、そこに骨名と有、是徴とすべし、加波禰名の禰奈お約めて、禰とのみいふなり、姓氏はいへば相かねて借字に出たれども、実は骨名にて、あきらかにその故由はしるヽなり、さればこそ続日本紀〈廿九〉称徳天皇神護景雲三年五月丙申、宣命に雲く、丈部姉女〈乎波〉、内〈都〉奴〈止〉為〈氐〉、冠位挙給〈比〉、根可婆禰(ねかばね)改給〈比〉治給伎雲々、是根かばねと書しにて、その意いよ〳〵明らかにして、人に骨あるが如くなるにたとへたり、骨の訓は、大根の意なり、或人は人根成べしといへれど、骨は禽獣皆有、人に限らず、