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玄同放言
三上
姓名称謂
姓の和訓、かばねなるに、拾芥抄〈上末〉に姓尸と書玉へる、又無尸姓などいふ事も見えたり、尸おしかばねとよむによりて、こヽにはかばねと訓するにや、姓とかばねは異也と思ひ玉ひし訛舛は、はやく秋草〈券之上姓名部〉に論はれたれば、さらにもいはず、今按ずるに、かばねに尸の字お書たるは、後人の所為なれども、そのよしなきにあらず、姓の和訓かばねのはねはほねなり、〈はとほと相通〉続紀〈十八〉孝謙紀天平勝宝三年二月己卯、雀部朝臣真人が上疏に、骨名と書たり、新撰姓氏録の序には、氏骨と書たり、骨字氏字にかの訓なし、こは義訓ならん、正しく姓の字訓にやとおもふは、景行紀に、美濃国造名神かばね()骨といふ者見えたり、〈四年春二月の条にあり〉神骨は人の名なれども、姓の訓義お釈く証据とすべし、姓お神かばね()骨といふよしは、天朝の万姓は、神の御名より起り、又神世の職名おも取て姓とし賜へば、これお子孫に伝へたり、譬ば人死すれば、その形体は土になれども、その骨はなほ遺れり、姓はその祖神の骨の如し、こヽもて姓お神骨といふなるべし、又髪(かばね)骨の義ともすべき歟、髪も亦骨とともに朽ざるものなり、この故に姓に尸字お書ものは、みな後人の所為にしあれども、そのよしなきにあらすといふなり、