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制度通

姓氏の事
本朝に、いにしへより尸と雲ことあり、朝臣、真人、宿禰、忌寸、県主などあまたあり、中国にはこの事見えず、本朝にて、所によりまぎらはしきことあり、公式令の内に、中務大輔位臣姓名とあるは、この姓は源平藤橘の類なり、又同令に、凡授任官之日喚辞、三位以上先名姓、註雲、仮令喚雲秦万呂宿禰之類也、又五位先姓後名、註雲、喚雲秦宿禰万呂之類也と、この姓は尸のことなり、朝臣真人の類おさして雲、又処に因て、尸お氏と雲こと国史に見はる、しかれば尸おすぐに姓とも氏卜も雲なり、〈○中略〉
又考ふるに、尸はもと上世の官名とみえたり、宇摩志麻治命、天瑞お献ずるお以て近宿に侍らしむ、足尼と称す、その裔孫お並びに足尼とす、その後又宿禰称す、旧事記に詳なり、又首稲置等の名は、日本紀に出て、郡県の令長の名なり、それより後年代おへて、官職の外に又一種の称となりて、氏族の貴賤お序づるなるべし、天武天皇の時、大三輪君大春日臣等、凡五十二氏、賜姓日朝臣と、これによりてみれば、いやしき尸、貴き尸にのぼるなり、その族に賜ふときは、一族みなその尸お称するなり、