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古事記伝
三十九
氏姓は宇遅加婆禰(うぢかばね)と訓、宇遅と雲物は、常に人の心得たるが如し、〈源平藤原などの類是なり〉加婆禰と雲は、宇遅お尊みたる号にして、即字遅おも雲り、〈源平藤原の類は氏なるお、其おも加婆禰とも雲なり、〉宇遅ももと賛て負たる物なればなり、〈是はた言は賛たる言に非るも、負たる意はほめたるもりのなり、〉又朝臣宿禰など、宇遅の下に著て呼ぶ物おも雲り、此は固賛尊みたる号なり、又宇遅と朝臣宿禰の類とお連ねても加婆禰と雲り、〈藤原朝臣、大伴宿禰などの如し、〉されば宇遅と雲は源平藤原の類に局(かぎ)り、〈朝臣宿禰の類お字遅と雲ることは無し〉加婆禰と雲は、宇遅にも、朝臣宿禰の類にも、連て呼ぶにも宣る号なり、宇遅と加婆禰との差別大かた如し、さて宇遅加婆禰と連ねて雲には、宇遅〈源平藤原の類〉加婆禰〈朝臣宿禰の類〉とお分て、並べて雲るもあり、又たヾ何となく重ねて雲るもあり、此の氏姓何れに見ても違はず〈さて宇遅に氏字お書くは、よく当れり、加婆禰に姓字は、当ろ処と当らぬ処とあり、然るお世人宇遅加婆禰の義お、ひたすら此氏姓字に因て分別むとする故に、いとまぎらはしきが如し、故今これお委曲に弁へ雲む、まづ漢国にて、姓と氏との事まぎらはしきが如くなる故に、此間の宇遅加婆禰の事、此字につきていよ〳〵まぎらはしく思ふなり、かの国にて姓と氏とは別なるが如くなれども、常に通はして一にもいへり、姓某氏と雲るにて知べし、然れとも用ひざまは同じからず、姓某氏とは常にいへとも、氏某姓とは雲ること無きにて知べし、さて源藤原の類は、姓と雲ても、氏と雲ても宜しく、凡て宇遅加婆禰と雲に、氏姓寸と書くも当れることなれども加婆禰と雲中に、姓字の当らぬ処ある故は、いかにと雲に、朝臣宿禰の類は、漢国には無き物なれば、是に当る字は無きなり、姓字には源藤原などお雲時の加婆禰には当れとも、朝臣宿禰の類お雲時の加婆禰には当らざるお、 強て漢文に書むとする時は、止事お得ず此字お用ひて、書紀などに賜姓曰朝臣など書れたるから紛れて、朝臣宿禰の類お姓、藤原大伴の類お氏と心得たる人もあれど非なり、若然雲ときは、源も平も藤原も共に朝臣なれば、皆同姓と為むか、されば朝臣宿禰の類お姓と心得ては、源藤原の類と混ひて分別なし、故後世の書どもには、朝臣宿禰の類には、尸と書て分つなり、此はたヾ借字なれば、姓字お書むよりに紛れなくて勝れり、然れども正しき漢文には、尸字などは書くべくもあらざれば、姑く姓と書むも難なし、読人の心にわきまへて字に惑ふまじきなり、凡て寓の言、漢字によりて意お誤ることは常なる中に、此加婆禰の事に、殊に字に依て人の思び惑ふことなり、ゆめ〳〵姓字には拘はるべからず。此字お忘れて思ふべきなり、〉